大八万楼

飲食業

技・サービス

しごと紹介

1. 地元に愛され45年、とんかつ専門店

「じゃあ、たっぷり落としてください!」
カメラマンの合図で、揚げたてのとんかつにソースが勢いよくかけられてゆく。小気味よく響くシャッター音に誰もがワクワクする中、「はい、OKです!」と撮影終了の声。
みんなが駆け寄りのぞいた画面の中で、ソースが生き生きと輝いていた。

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父から母へ、そして息子へ。のれんが受け継がれ、地元に愛されること45年を数える大八万楼(だいはちまんろう)。ボリューム満点のとんかつが人気を集める、老舗のとんかつ専門店だ。
「とんかつ1枚180グラムです。みんなお腹いっぱいになって帰られます」と語るのはオーナーの渡辺仁康さん。一日平均25枚、週末になると50枚以上は揚げ続けるという人気店だ。

自慢のとんかつの他、えびフライや串かつといった揚げ物全般から一品料理まで、人気メニューは数多い。ひそかに喜ばれているのは、真っ白な炊き上がりが好評のごはん。生産農家から直接仕入れるコシヒカリを、おいしさが引き立つガスで炊き上げている。一品料理では、新鮮な親どりを使ったヒネ料理がおすすめだ。

2. 受け継いだのは、父の想いと自慢のソース

そしてもうひとつ忘れてはならないのが、父の代から守り続ける大八万楼オリジナルソース。デミグラスソースを基本に、各種の調味料をブレンド。やさしい甘さが素材の味を引き立て、ほんのり香るスパイシーな風味がいっそう食欲をそそる。

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「父の代では中華料理店でしたから、唐揚げや焼めし、ラーメンも人気があります。特にうちの焼めしは『うまい!』とほめてくださる方が多いんです。どこか懐かしい昔のおいしさだと言っていただきます」
そんな渡辺さんの焼めしを求め、15年間お店に通い続けるお客様もいる。
「20歳の頃から月に一回、篠山から通って来られています。オーダーいただくのは、いつもとんかつと焼めし。ご家族や職場の皆さんを連れて来てくださる時もあり、本当にうれしい限りです」

3. メニューもおもてなしも、オンリーワン

そんな渡辺さんが、ずっと大切に守り続けているもの。それは、お客様をもてなす気持ちだ。
「お客さんを大事にするとは、あくまでもお客さんの要望に合わせるということ」だと渡辺さんは言う。
「今は、売る側がお客さんに注文をつけるところも多いですが、うちではお断りする時も、お勧めする時も、あくまでもお客さんを思ってのことです。それが通じているから、次の来店につなげてくださっているのではないかと思っているんです」

おもてなしの気持ちとともに、大八万楼が地域に愛される店である理由。それは「特化している」ことが挙げられる。
「この先、人口が増えることはない田舎ですが、足を運んでくれるリピーターを増やせばいいだけのこと。しっかりしたサービスや商品があれば、田舎でも人は呼べるし、商売はできると思っています。以前、大阪の方がインターネットでうちの店を見つけたと言って、自転車で来られたことがあったんです。聞けば自転車競技の練習の一環だったそうで、喜んでいただけました。それもこれも、とんかつに特化した店づくりをしているからだと思います」

4. 店・味・人、すべての育ての親「多可町」

生まれ育った多可町を、修業で離れた15年。後を継ぐと決めたのも、やはり多可町だった。
「自分が生まれたところなので、やっぱり好きな町です。多可町を大事にしたいですね」
多可町を大事にする――。それは「多可町が、もっと若い人が働ける町になってくれること」だと渡辺さんは言う。そのきっかけのひとつになればと考えているのが、大八万楼オリジナルソースの製品化だ。
多可町特産品認証制度(*)を利用して全国販売を目指している。
「このソースで、町の人の働く場づくりに少しでも貢献できたらいいでしょうね」

父が作り、母が守り、地元のみんなが育ててくれた味。

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のれんを継いで15年。渡辺さんの新たな挑戦は、両親とお客様、生まれ育った地元・多可町への、大きな大きな恩返しなのかもしれない。

*多可町特産品認証制度とは
多可町内の事業所で製造された製品や加工品を「多可町特産品」と認証し、「信頼できる優れた多可町生まれの特産品」として全国に発信する制度

技・サービス紹介

「豚肉は、牛肉と違ってサシが入っていてはだめ。肉に力がなくなります。とんかつは柔らかすぎてはだめなんですよね。歯ごたえも必要なんですよ」
肉の善し悪しを分けるポイントのひとつは、水がきれいに抜けているかどうか。抜けている肉は、いいとんかつになり、抜けていない肉は揚がりが悪いという。
「だから食肉用の豚は、食肉として解体される1週間前からほとんど水を与えずに育てられるんです。まさに『命をいただきます』という思いです」

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揚げ時間はほぼ10分。コツは、最後まで揚げ続けず仕上げは余熱に任せること。すると、ジューシーでやわらかい仕上りになる。そんなプロの目で選び抜いた上質の素材を使い、プロの技でふくよかに揚げた極上の一枚を求め、持ち帰りをオーダーするお客様も多いという。

そしてもうひとつ、渡辺さんの技を活かしているのは、揚げ油としてのラード。
「実はラードは扱いにくい油なんです。冬は固まってしまうし、傷みも酸化も早い。でも、油そのものに旨みがあるんです。豚肉の持つ素材そのものの味を、とっても良く引き出してくれます」
見えない所で活かされているのは、本物を知り尽くし、ただシンプルに「おいしさ」を追求する職人のこだわりだ。

「とんかつも、まずは塩で食べてみてください。甘みと旨みがぐっと出るんです。いい肉や刺身は、塩で食べるとおいしいんですよ」
「とんかつや刺身も、塩ですか!?」

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「料理の味は、塩の使い方で決まります。しょうゆや砂糖、みりんは『線』の調味料です。味が決まらなければ足してゆけます。でも、塩は『点』の調味料です。多く入れ過ぎると、その時点でアウトです」

人が「おいしい」と感じるのは、実は素材に対してであって料理にではないという渡辺さん。しかもそれは、食する人の口に合うか合わないかの違いだけ。
「もし口にした料理がおいしいと感じたら、それはその料理をつくった人の『人柄』に対してなんだと思います」。

そんなプロの技をさらにおいしく引き立てるのが、大八万楼自慢のソース。
「こどもの頃、野菜が食べられなかったんですが、親父がこのソースにマヨネーズを合わせて、キャベツにかけてくれたんです。おいしくてね。それから野菜が食べられるようになりました」
お客様の中には、ハンバーグやパスタに合わせるという方もあるそう。製品化に向け、準備が少しずつ進んでいるところだ。

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「夢は、このソースを多可町の特産品にして、製造や販売の現場で地元の雇用に貢献すること。そしていつか、このソースを使って子どもたちと一緒にとんかつの店を広げられたら。たくさんの人に味わっていただきたいと思っています」

家族の絆、地元愛、おもてなしの心、生かされている人生への感謝――。渡辺さんにしか作れない、たっぷりの隠し味が入った大八万楼オリジナルソース。ぜひ味わってみてほしい。

経営者紹介

1. 亡くした父の、背中を追いかけて

体が弱い父でした。入院した父に代わって、中学2年生の頃から店に入って皿洗いを手伝っていました。部活を終え、学校から帰って来て店に入るのは、正直しんどかったですね。その父も、私が高校3年生の時に亡くなって、それからは母が一人で店を守っていました。

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父がこの地元で店を開いていたのは、たった18年なんですが、すっかり地元になじみきって地元の人間になっていました。すごいことだなあと今さらながら思います。亡くなって30年になりますが、まだお客さんたちの話にも父のことが出るんですよ。周りの人に大切にしてもらっていたんだな、頑張っていたんだなと思います。

高校生の頃は教師になりたいと思っていたんですが、父の勧めもあって調理師の専門学校へ進むことを決めました。『学校なら環境衛生や道具の使い方、料理の歴史も学べる。勉強してから修行へ行け』と言ってくれて……。父を安心させられたのは、よかったなと思っています。

2. 料理人に、回り道はムダじゃない!

そんな父が勧めてくれた専門学校でしたが、あまり優秀な生徒じゃなかったですね。実は退学寸前までいって、卒業もギリギリだったんです(笑)。あちこち脱線しながら全然まっすぐ進めていませんが、今振り返れば、無駄なことは何ひとつなかったと思います。すべてがいろんな経験になっています。

学校を卒業する時、本当は神戸のステーキ店に就職が決まっていたんです。アメリカの店で働く時期が決まるまで待機命令が出て、ひとまず他の店に就職して辞令を待つように言われていたんです。ところが地元の店で修業を始めたら、いきなり渡米の辞令が来て……。結局、ビザの申請が間に合わなくてアメリカは断念。そのまま最初の就職先で、結果的に15年間お世話になることになったんです。

でも、それがよかったんです。修業先では、寿司、会席、仕出し、刺身、何でも経験させてもらいました。今、おでんやお造りの注文に応えられるのも、この時の修業があったから。すぐそばで、本物の職人技に触れることもできました。段取りを考えながら料理を作りお客様に対応すること、できるだけお客様を待たせない心がけが「おもてなし」であることを学ばせてもらいました。今一人で店を切り盛りできるのも、この時の修業のおかげです。

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店でお出ししている料理の中で、特に食べていただきたいメニューが4つあります。
まずは、やっぱりとんかつです。次に、唐揚げ。そしてひね料理、焼めしと続くんですが、この唐揚げも実は父の得意メニューだったんです。
父のつくる唐揚げが好きで……。直接教わることはできなかったんですが、記憶を頼りに見よう見まねで作ったら、店の人気メニューになりました。ソースといい、唐揚げといい、親父に食わせてもらってるなあと思います。
でも、もし生きていたら……。きっとケンカになって、一緒に厨房には立てないでしょうね(笑)。

3. 生かされている人生に、感謝をこめて

地元へ帰ってきて自分で店を始めてから、「まわりのおかげで、生かされている」と思えるようになりました。帰ってきた直後から、ずっと中学・高校時代の友だちや野球部の仲間が、人を集めては店を使ってくれるんです。地元のお客さんの中には、父が厨房に立っていた頃から通ってくれている人や、本当の親のようにアドバイスをくれる人もいます。
そして、もう一人。私とこの店をここまで生かしてくれたのは家内です。お客さんたちが喜んで店に来てくれたのも、家内がいてくれたからです。残念ながら、ちょっと早すぎる永い眠りについてしまいましたが、
今こうして店を続けていられるのも、周りのみなさんと家内のおかげです。ありがたいです、感謝しかないです。

多可町にいるとひとりぼっちの感じがしません。相談する相手も仲間もいっぱいいてくれて、人間は一人じゃなんにもできないんだと実感できます。自分にとって多可町は、生かされている気がする場所なんです。いつまでも大事にしたい場所ですね。

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