しごと紹介
1. 山仕事の最大の魅力とは
山の職人が持つチェーンソーがごう音を響かせながら、樹齢数十年の杉の根元に切り込みを入れていく。チェーンソーが木を削るたびに吹き上がる木の粉は、さながら森の火花のよう。次第に、高さ20mにも及ぶ杉の大木がゆっくりと傾いていき、やがて山の斜面にドサリと倒れ去った。
これは、山の仕事の中でもとくに慎重な作業が求められる伐倒(ばっとう:立ち木を切り倒すこと)の瞬間。
取材班は、林業に従事する森安木材店が管理する山に案内していただき、伐倒作業を特別に見せてもらった。初めて目にする光景に「すごい…」のひと言。その迫力を体感するには、やはり山に入るのが一番だろう。
「伐倒は簡単じゃないんです。山の斜面の状況や立ち木の傾きなどを考慮に入れ、できる限り木を傷つけないよう倒さないといけません。他の作業員を危険にさらしてもいけないし、倒したあとの造材や集材の作業も考慮しなければならない。どんな木でも狙った方向に倒せるのが、ほんまもんのプロの職人ですよ」
山を案内していただいた森安勲社長の説明を聞いているうち、山の仕事の魅力に惹きこまれていく。
「この仕事の一番の面白さは、やっぱり自分の思った方向に木を倒した瞬間ですね。山に入って10年くらいの職人は、誰もが口を揃えてそう言うと思いますよ。最初はなかなか思うように倒れてくれませんから」
そう身を乗り出して話すのは、入社13年目の小泓(こぶけ)国昭さん。小泓さんの自宅は兵庫県西宮市で、毎日2時間かけて兵庫県多可郡多可町まで通う。
森安社長は小泓さんが入社した当時を次のように振り返りながら、笑みを浮かべる。
「あるとき西宮のハローワークから連絡がありましてね。彼に取り次いでもらうと、どうしてもうちで働きたいと言うんです。重機を扱うので免許取得が条件と伝えたところ、3ヶ月後に再度連絡が来て。話を聞くと、ほんまに免許を取ったというんですよ。もう雇わないわけにはいきませんよね」
そんな小泓さんは遠距離通勤にもかかわらず、朝は誰よりも早く7時半に事務所に来て、仕事後は誰よりも遅く18時頃まで事務所に残っているという。いまでは現場のリーダーとして、若手を引っ張ってくれる頼もしい存在だ。
現在、森安木材店の従業員数は、小泓さんを含め総勢9名。そのうち20代が2人、30代が2人と若手も多い。
「20代と30代の従業員は2組の兄弟なんです。ともに最初は兄のほうに働いてもらっていたんですが、弟も雇ってほしいと言ってきましてね。じゃあ連れてこいということになったわけです」
森安社長はごく当然のように説明するが、身内を誘うのは、その企業の働く環境が恵まれているからに他ならないだろう。
2. 3K職場はいまは昔。機械化が進む林業
森安木材店は現社長が3代目の老舗企業で、創業約90年を数える。昔は苗木を山に植えて木を育て、伐採して市場に流通していたが、いまは苗木の植付はせず、「作業道の開設」と「間伐(かんばつ)」が主な仕事となっている。
「作業道の開設」とは、山に道をつけていく仕事のこと。前述のようにチェーンソーで必要な立ち木を切り倒し、重機を使って地をならしていく。
「昔は職人が道具を背負って山に入り、作業場まで徒歩で登っていました。それでは作業の効率が悪いことから、国が作業道を開く方針を打ち出したんです。道をつけることで作業場まで車で登れますから、昔と比べて大変便利になりましたよ」と森安社長は話す。
「間伐」とは、森の健全な発育を促すため、一部の木を伐倒すること。市場価値のある木を見極めて切り倒し、木材市場で販売して利益を得る。
森安木材店の強みは、県下でいち早くプロセッサーと呼ばれる「高性能林業機械」を導入したこと。昔は職人が手作業でやっていた玉切り(*)を機械化し、作業環境が大幅に改善した。
(*)玉切り:立ち木の伐倒後、枝を払い、既定の寸法に切断して素材丸太に仕上げる作業。
重機の車内はエアコンが効き、夏場でも快適に作業できるという。
「昔の林業は重労働で、まさに3K(きつい、危険、きたない)職場でした。でもいまは機械化によって作業環境がずいぶんと良くなりました。若手がうちに来てくれるのも、環境が改善した効果もあると思いますよ」と森安社長は力を込める。
3. 求む! 自然が好き、山が好きな若手人材!
昨年(平成26年)の忘年会の席で、森安社長は従業員たちに「来年から山に行かない」と宣言した。
「その言葉どおり、今年は本当に木を見に行っていません。でも、現場の若手たちはどんな木でもちゃんと切って運んできますよ。彼らが育ってきた証拠です」
そう目を細める森安社長がいま一番に求めている人材は、「森林経営計画書が策定できて、山の図面が作成できる人材」だ。
森林経営計画書とは、林業事業者における経営計画のこと。山の図面というのは、山の航空写真に詳細地図を重ね合わせ、作業道の開設経路を書き込んだ資料のこと。いずれも経営的な観点でプランニングする力が求められる。
「なぜこうした人材を求めているのかといえば、林野庁の認定業者(森安木材店は兵庫県の北播磨県民局管内では唯一の認定業者)を続けるためにこれらの資料が必要だからです。いまは森林組合が対応してくれていますが、経営的な仕事をやってくれる人材がいれば助かりますね」
山仕事に従事する若手も不足している状態だ。現場の作業環境は整ってきたとはいえ、他の仕事よりも体力が求められる。
「だからできる限り若く、体力がある人がいい。体を動かすのが得意、運動神経が良い人はこの仕事に向いていると思いますよ」と森安社長は期待する。
我こそはと思う若者がいれば、ぜひ手を挙げていただきたい。まずは山を見せてもらうだけでもいいだろう。山に入り、仕事の様子を見学すれば、山仕事の内容と魅力が身を持って理解できるはずだ。
4. 林業、そして会社の未来を担う次世代のために
山仕事は、「山持(やまもち)」と呼ばれる山林所有者との関係づくりが大切となる。
「いま森安木材店は、多可町の複数の山持さんの山を管理させていただいています。現状は私がすべての山持さんの山を把握していますが、会社の未来を考えて、従業員たちに管理をシフトしていきたいと考えているんです」
そう展望を語る森安社長は半世紀にわたる現場経験により、すべての山持の山の状況――たとえばどの山のどの場所にどんな木が生えていて、どの箇所の間伐が必要なのかなど――がすべて頭に入っている。
今後は従業員一人ひとりに各山持の山を分担して覚えてもらい、徐々に世代交代していく考えだ。
ところで多可町の山の74%は、じつは檜(ひのき)が占めている。森安社長は地域の貴重な資源を有効利用するためにも、昔ながらの日本の木造住宅(在来工法)が建てられる仕組みが必要と提唱する。
「多可町は上質な檜の産地です。林業の未来のためにも、木材を地域で消費する仕組みが必要やと思うんです。檜を地域で使うためには在来工法の家がもっと建たないといけないし、そのためには伝統的な墨付けや刻みの技術を持った大工を育てる必要がある。林業とセットで大工を育成する支援もやってほしいと、いま国に訴えてるんですよ」
林業の発展のため、木材自給率を高める。そのために地域の木材を地産地消する仕組みをつくる――森安社長は林業の未来、そして会社の継続と発展のために、いまできることを模索している。
経営者紹介
有限会社森安木材店 代表取締役 森安勲氏
1. 祖母から受け継いだ言葉
「うちは山持さんあっての商売。だから山持さんに感謝せなあかん」――。
これは私が小さい頃からずっと祖母に言われてきた言葉です。
「山持(やまもち)」さんとは、「山のオーナー(山林所有者)」さんのことです。森安木材店は多可町の複数の山持さんの山を預かり、林業をさせてもらっています。だから自分とこだけ儲けようと考えるんやなしに、山持さんと一体となって商売をせなあかん――祖母はそう教えてくれたんやと思いますよ。家業を継いで半世紀になりますが、この祖母の教えを忘れたことはありません。
森安木材店の創業は大正後期。祖父が山仕事を始めたのが事業の興りです。戦後に父が引き継ぎ、近所の人たちに手伝ってもらいながら山仕事を本格的に始めました。
戦後は日本の木材需要が急増した時期で、多可町は林業の町として栄えました。最盛期には多可町だけでも50~60の業者があり、当社の近くには料亭が10件以上も軒を連ねていたもんです。山仕事を終えた作業員が料亭で食って飲んで、それは賑やかな時代でした。
子ども心に父が木を切る姿はカッコいいなという思いもありましたが、私は学校卒業後、線維会社の日本レイヨン(現ユニチカ)に就職したんです。ところが入社して半年後に本家の叔父が亡くなってしまって。就職して間もない時期でしたが、父のことが心配になり、実家に戻る決心をしました。昭和40年のことです。
2. 若くして事業を継ぐことに
家業に入って2年目、近所の製材所3社が立て続けに廃業することになり、そのうち1社を買い取って製材業を新たに始めました。ところがその後、父が首を骨折し、体が不自由になってしまったんです。
以降、山持さんとのお付き合いから山仕事まで、20代半ばだった私が前面に立ってやることになりました。山持さんはみな私の親の年代だったこともあって、父親代わりのような存在でね。ほんと可愛がってもらいました。
一方、父が怪我する前に始めた製材所部門は弟が引き継ぎました。当時、弟は商社で働いていましたが、父が動けなくなったので辞めて戻ってきてもらい、製剤部門を託したんです。
「お前がやめたら、うちの山はどないなんのや」
日本の木材自給率は昭和30年に9割以上ありましたが、昭和39年に木材の輸入が自由化されて以降、国産材の利用量が減少。森安木材店を法人化した平成7年には自給率20%程度まで落ち込みました。それにともない、市場で取引される木材価格も大幅に下落してしまった。
うちも経営が難しくなり、一度、お世話になっている山持さんに相談したことがあるんです。
「林業を続けるのはほんま厳しい。この仕事、やめてもええやろか」
そう切り出すと、
「お前がやめたらうちの山はどうなる。誰が守ってくれるんや」
と言って、ぽろぽろと涙をこぼされたんです。
そのひと言は本当にこたえました。同時に、祖母の言葉が頭をよぎりました。
自分とこだけ考えとったらあかん。森安木材店の事業は山持さんの山を守る仕事。そしてそれは地域の山を守ることに他ならない――と。
3. 多可町の山を守り、多可町を活性化する
平成16年の台風23号で兵庫県各地は甚大な被害を受け、多可町の山も風倒木被害に見舞われました。昔は土砂崩れなんてなかったんです。木材需要の減衰とともに林業従事者が減ってしまって、結果として山が放置されて災害のもとになった。
山というのは適度に間伐し、林内に光を届けてやって初めて木の生長が促進され、根が丈夫になる。山持さんの山を管理する仕事は、地域の山を災害から守る使命も帯びているわけです。多可町の山を守るためにも、商売をやめるわけにはいきません。
地域に関する取り組みとしては、多可町の古民家を売買する不動産業もやっています。古民家は県外の人たちに人気で、ここ1、2年だけでも大阪、神奈川、熊本の人たちに販売しました。移住する人も多いですから、多可町の人口増にも一役買っていますよ。
4. 林業の未来、若手に託す
林業は未来がないのかといえば、まったくそんなことはありません。政府は木材自給率を現在の28%から50%に引き上げる施策を敷き、林業の支援に力を入れています。若者の就業支援にも積極的で、林業の新規就業者数は支援開始前の年間平均約2000人から、現在は同約3400人と1.7倍に増えている。
当社も国の補助金制度を活用しながら現場作業の機械化を進めるとともに、若手の採用と育成に力を注いできました。今後もぜひ若い人たちに林業に興味を持っていただき、山に入ってもらいたい。
森安木材店が若手の受け皿となるために、そして地域の山を守るために、今後も事業の継続と発展に力を尽くしていきます。「多可町の山を守ったる!」そんな力強い若手がいれば、ぜひ当社の一員になってほしいと願っています。
従業員紹介
小泓国昭さん 入社13年目 54歳
この仕事を始める前は自動車メーカーでエンジニアをしていたんです。でも事情で退職しましてね。じゃあ次は何して働こうと思ったとき、テレビで林業の人手が不足していると知ったんです。
以前、大阪森林組合でボランティア活動に参加したことがあって、チェーンソーと草刈りの免許は持っていました。さらに山の中をマウンテンバイクで走るのが好きで、1年ほどレースに出ていた経験もあった。
林業について調べるうち、「山の仕事って面白そう」と思って職安に行き、森安木材店を紹介してもらったんです。
自宅のある西宮からは遠いですけどね。でも近所には林業の仕事はありませんから。通勤はたしかに大変ですが、気づいたらもう13年目ですよ。
働く環境が自動車工場から山に代わり、何から何まで勝手が違って右往左往しました。しかも当時の職人さんは、なかなか口では教えてくれませんから。だから必死に見て覚え、自分なりに仕事に慣れていきました。いまはきちんと教えていくので大丈夫ですよ。
入って一番の思い出は、入社1年弱の頃、架線(かせん)集材の機械を初めて運転したときですかね。架線集材とは空中に張ったワイヤーロープを使い、伐倒した木を運ぶ方法です。自分が機械を運転し、切り倒した木が運ばれていくのを見た瞬間、「俺、ほんまに林業してる!」と心の底から実感しましたよ。
うちがメインでやっている間伐作業は人手がいります。だから20代、30代の若い人にどんどん山に入ってもらいたいですね。夏は暑いし虫も出る。大変ですけど、間伐して光が入ると、「山の中ってこんなに明るくなるんや!」と感動しますよ。山に光を届けるのがやりがいですね。
私自身の目標は、すでに引退されている師匠(吉田さん)に少しでも追いつくこと。どんな木でもいとも簡単に切ってしまうプロの職人でした。私も師匠に近づき、次の世代に林業を伝えていきたいと思っています。
求人情報
求人
応募・お問い合わせは下記番号まで
TEL : 0795-36-1235
企業情報
会社名称 | 有限会社森安木材店 |
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本社所在地 | 〒679-1326 兵庫県多可郡多可町加美区西山314番地 |
HP | http://www.eonet.ne.jp/~moriyasu-mokuzai/ |
従業員数 | 8人 |
事業内容 | 素材生産業、土木業、不動産業 |