日藤ポリゴン株式会社

製造業

しごと紹介

1. 産業を支える工作機械メーカー

「うちの会社は機械好きにはたまらん仕事。はまったらやめられへん」

そう言って笑みを浮かべるのは、日藤ポリゴンの藤阪光一社長。

日藤ポリゴンは昭和25年創業の工作機械の老舗メーカーで、これまで国内外に数千台もの工作機械を納入してきた。

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工作機械とは、金属を削ったり穴を開けたりして、思い通りの形状や精度の部品をつくる機械のこと。〝マザーマシン(母なる機械)〟とも呼ばれ、自動車や電機といった日本の産業を支えてきた。

たとえば自動車の部品点数は2~3万個あり、そのうち多くの部品が工作機械によって生み出されている。品質の良い自動車をつくり上げるためには、精度の高い工作機械が不可欠といえる。

同社は昭和41年に「ポリゴンマシン」と呼ばれるオリジナルの工作機械を開発して以来、このマシンを自動車関連業や造船業を中心に、日本をはじめ世界各国のメーカーに計3000台納入してきた。工作機械の品質と精度が高く評価されてきた証拠だろう。

ポリゴンマシンを扱っていた会社はかつて日本に6社あったが、現在、製造するのは日藤ポリゴンのみ。ちなみに同社の社名の由来となったマシンだ。

ポリゴンマシンの年間生産台数は減少傾向にある。生産量の少ない製品を扱うのは非効率で、撤退する企業も多い。それでも製造を続ける理由を藤阪社長は次のように話す。

「日本のものづくりの現場になくてはならない工作機械だからです。うちが製造をやめたら、日本でつくれる会社がなくなってしまいますから。日本の産業を守るためにもやめるわけにはいきません」

創造的で信頼性ある商品を創り豊かな社会に貢献する――。

これは日藤ポリゴンの企業理念だ。

「私はこの企業理念を大事にしているんです。うちは工作機械メーカーですから、いい機械をつくることで社会に貢献するのが使命です」

2. 高い技術力を武器に事業展開

オリジナル製品の開発に加え、力を入れているのが「OEM生産」。

同社は創業以来、工作機械メーカーとしての素地を築き、図面さえあればどんな機械でも組み上げる技術とノウハウを蓄積してきた。その技術があればこそ、発注先企業から信頼されてOEM生産を一手に引き受けることができるのだ。

なかでも大切にしている技術が「キサゲ」と呼ばれる職人技。

キサゲとは、ノミ状の工具を使って鋳物の表面を削り取る作業のこと。工具の柄の先端を脇腹の下の腸骨(ちょうこつ)に押し当て、体全体をゆすりながら少しずつ表面を均(なら)すように削り取っていく。「体力のいる作業なので、工具を当てる箇所に大きなタコができるほど」だという。

しかし体力以上に求められるのが、ミクロン(1ミクロンは1000分の1ミリ)単位の調整能力。キサゲで一度に削り取れる量は、わずか数ミクロン。経験に裏打ちされた技術と勘を頼りに工具を操り、鋳物の表面を数ミクロンずつ調整しながら真っ平に仕上げていく。

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このキサゲがなぜ大事なのか。

「工作機械の本体を乗せる土台の表面に数ミクロンでも凹凸があると、工作機械の精度と耐久性が下がります。キサゲ作業で凸の部分を削り取って限りなく平坦に近づけることで、土台と本体の当たり面が増え、工作機械の精度と耐久性が大幅に向上するんです。この作業は油溜まりも兼ね備えた微細な調整が求められるので機械化できません。手作業だからこそ可能な職人の妙技です」

じつは近年、キサゲ作業ができる職人が日本のものづくりの現場から姿を消しつつある。そんな業界の流れに逆行し、日藤ポリゴンはキサゲの技術を大切に守り継いできた。いま同社には、20代の若手を含めてキサゲ作業ができる職人が5人いる。

「彼らはうちの宝。当社が手がける工作機械の精度と品質を支えているのは、このキサゲの技だといっていい。今後も職人技を絶やすことなく、次代に継承していきます」

3. 人格の向上も査定基準

同社の特徴は技術力に加え、定着率の高さ。ここ7~8年、一人も退職者を出していない。

なぜ辞めずに長く働いてくれるのだろう。

「それはやっぱり仕事が楽しいからやと思いますよ。オリジナルの工作機械づくりからOEM、古い機械のオーバーホールまで、仕事内容は多種多様で飽きることがない。機械好きの血をかき立てるんやろうね」

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加えて査定方法にも特色がある。「人格の向上」にも重きを置いた賞与・給与査定を行っている点だ。

「私は企業理念とともに、社訓の『仁・義・礼・智・信』を大事にしています。職人は技術も必要やけど、リーダーとして組織を引っ張るには人としての魅力がいる。挨拶がしっかりできるか、誰かが困っていれば助けてあげられるか――礼節を重んじ、思いやりを持った行動ができる従業員は査定のポイントが高くなるしくみです」

4. 来たれ! 機械好きの若手人材!

「とにかく前向きにチャレンジできる若手を求めています」

今回の取材の冒頭、藤阪社長が真っ先に語った言葉だ。

会社に安定のみを求めるのではなく、自ら積極的にアイデアを提案し、自分で仕事を動かしていけるような人を求めている。

採用の具体的な募集条件としては、一つは大卒人材。藤阪社長は言葉に力を込めて、人材像をこう説明する。

「高校卒業生は地元校から毎年採用しています。大学卒業生は地元出身者で、大学進学でいったん実家を出て勉強したあと、地元企業の就職を検討しているような人が理想ですね。多可町には日藤ポリゴンという会社があり、日本の産業を支える工作機械をつくっている。そんな当社の存在を知ってもらい、ぜひ来てもらいたい」

もう一つの募集条件は、即戦力を期待した中途採用。工作機械の製造からメンテナンス、電機関係の知識まですべて兼ね備え、かつ一定レベル以上に達している経験者を求めている。

「対象者は絞られるとは思うんですが、理想は地元出身者でUターン先の企業を探しているような人です。実務能力だけじゃなくて、人格的な面も見させてもらうので、中途採用は狭き門かもしれませんが、条件にピタリとはまる人がいればすぐにでも採用したい」と強調する。

そうした募集条件をひっくるめた根本的な条件は、やはり〝機械好き〟だろう。

機械を見ると血が騒ぐ、ものづくりの現場に興味がある、地元企業で自分の能力を活かしたい――そんな人にとっては働き甲斐のある会社といって間違いないだろう。

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経営者紹介

日藤ポリゴン株式会社 代表取締役 藤阪光一氏

1. 大阪から多可町へ

当社の創業は大阪なんです。機械修理の職人だった父の藤阪和一が昭和25年、大阪市淀川区で事業を興し、昭和33年に日藤工機株式会社を設立しました。

その後、工場拡張のために工場と本社を大阪府茨木市に移転し、工作機械メーカーとして業容を拡大していきました。

私がこの会社に入ったのは昭和53年です。営業一筋で、日本国内はもとより、世界各国を飛び回ったものです。工作機械の世界三大見本市であるシカゴ、ハノーバー、東京の見本市にすべて出品しましたよ。東京はいまでも毎回、参加しています。

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順調に事業展開していたんですが、昭和の終わり頃に転機が訪れます。茨木の本社工場が道路拡張で立ち退きになったんです。

当時はバブル経済で土地が高騰し、大阪府内で移転先を見つけるのは厳しい状況でした。そこで他府県に出ることを決意し、工業用地を片っ端から探すことになりました。

最初に検討したのは、津山(岡山県)と湯村(兵庫県)の工業団地です。環境は良かったんですが、大阪からはちょっと遠すぎるやろということになって……。

その後も各地を飛び回ったのち、最終的に決めたのがここ、多可町でした。下見すると、自然が豊富で空気もいい。「多可町ええとこやな」と思っていたところ、タイミング良く、役場で工場誘致をしていることがわかったんです。

時期の良さも手伝ってとんとん拍子で話が決まり、平成3年4月に多可町に移転。同時に、社名を「日藤ポリゴン株式会社」に変更しました。

2. 突然の世代交代。そのとき会社の業績は……

心機一転、多可町に骨をうずめる覚悟でがんばろう――。

そうやって新天地で再出発した4ヶ月後のことでした。平成3年8月、社長だった父が亡くなったんです。その翌月の9月、私が社長に就任。以降、この会社を引っ張っていくことになりました。

当時はバブル経済崩壊後の混乱のただ中で、売上が落ち込んでいたときでした。大変な時期に社長を継いだわけですが、幸い、蓄積してきた利益を取り崩すことで、最悪の事態は免れることができた。

しかしその後も苦境に見舞われています。

なかでも2001年のITバブル崩壊、そして2008年のリーマンショックによる世界同時不況の際には工作機械業界全体の受注額が減少し、それに引きずられて当社の業績も急激に悪化しました。

危機に遭遇したとき、立ち返るのはいつも社訓です。「仁・義・礼・智・信」を再確認し、事業の立て直しに愚直に取り組むとともに、自社の強みを活かして取引先を増やし、何とか息を吹き返すことができました。

全社一丸となって状況を打開してくれた従業員たちに本当に感謝しています。

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3. 危機でも耐えられる秘策

工作機械業界は景気変動の影響をモロに受ける宿命を背負っています。だから工作機械メーカーは、持てる経営資源を最大限に活かし、不況に耐えられる組織をいかにつくるかが問われているといえる。

当社の最大の経営資源は人であり、技術です。この貴重な宝を活かすために考え出したのが、「リボーンマシン」という新しいビジネスモデルです。これはアジアで機械を購入し、当社が検査・分解したのち、職人技(キサゲ作業)によって精度を高めてクライアントに納入する販売方式です。

アジア製の工作機械は価格は安いけれど、精度が低い。当社が買い取ったのち、日本仕様の工作機械として生まれ変わらせることができれば、精度と品質を高めながら価格メリットも打ち出せます。

そうすれば、たとえ不況時でもクライアントが採用しやすいと考えたのです。経営革新計画(経営革新に取り組む中小企業を支援する制度)にも承認され、いま積極的に取り組み始めたところです。

そのほか、いま次世代が中心となって会社のイメージアップにも取り組んでいます。その結果、「ひょうごクリエイティブビジネスグランプリ2014」で兵庫県産業労働部長賞を受賞。2015年には、中小企業庁より「がんばる中小企業・小規模事業者300社」に選定されました。

日藤ポリゴンを次代に引き継いで永続させるため、より魅力ある会社に磨きをかけていきたいと思っています。

4. 従業員、そして地域に対する思い

当社の自慢のひとつが社員旅行です。日頃頑張ってくれている従業員に喜んでもらうのも社長の大切な仕事です。平日は仕事があって旅行のために休みがとりにくいものです。そこで、みんなが楽しめるところ、若い人たちも思い切り遊べるところを考えて旅行先を決めています。

会社の旅行は社内の親睦を深めたり、見聞を広めたりする重要な行事なので基本は全員参加です。従業員のご家族も参加可能です。従業員の多くは、次の社員旅行はどこに行くのか楽しみにしてくれていますよ。

多可町に移転して早いもので20年以上経ちました。素晴らしい環境で事業をさせてもらって本当に感謝しています。

多可町が好きやからこそ、多可町の人たちとももっとふれ合いたいと思っています。多可町に根を張った会社として、ともに手を取り合い、今後も多可町を盛り上げていきたいと願っています。

従業員紹介

中道貴彦さん 入社5年目 27歳
地元の高校を卒業した私は福井県にある工業大学に進学し、機械工学について学びました。

昔からものづくりが好きだったので、卒業後は機械関係の仕事に就きたいと考えていました。できれば地元に帰って働きたいと希望していたところ、日藤ポリゴンを知って採用試験を受けることにしたんです。

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この会社は、工作機械の製造に関わるすべてを担当させてもらえるのが一番のやりがいですね。部品加工から組立、キサゲ作業によるすり合わせ、塗装、さらにオーバーホールまで、機械好きが夢中になれる仕事だと思います。

入ってからの一番の苦労は、そうですね……入社4年目にスロッターと呼ばれる当社オリジナルの工作機械の製造を、ぜんぶ一人で担当したときですかね。

入社してからの経験と身につけた技術をフルに使って機械を組み上げ、お客様に納品して喜んでいただいたときは、「この仕事をしてよかった!」と心から嬉しかったです。

この仕事が向いているのは、自分もそうですがものづくりに興味がある人です。会社は、意気込みさえあればどんな仕事でもチャレンジさせてくれます。機械好きの人が活躍できる場は、用意されていますよ。

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さらに、うちは社内の雰囲気がいいんです。わからないことがあれば上司に気軽に確認できますし、休み時間はみんなで冗談を言い合っています。社内環境の良さも、長く働ける秘訣かなと思います。

今後の目標は、すべての仕事を高いレベルで対応できる多能工になること。一つの分野にこだわるのではなく、どの仕事でも「ナカミチに頼んだら間違いない」と信頼される職人になれるよう引き続き努力していきます。

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ライター:高橋 武男

求人情報

求人

応募・お問い合わせは下記番号まで

TEL : 0795-32-2800

企業情報

会社名称 日藤ポリゴン株式会社
本社所在地 〒679-1102 兵庫県多可郡多可町中区安楽田5番地
HP http://www.nittopolygon.com/
事業内容 工作機械の製造販売