太田工務店株式会社

ようこそ、我が社へ! 我がまちへ!それからの物語

太田工務店株式会社

派生プロジェクトから雇用創出

多可町の地域資源を掛け合わせることで新商品やサービスを生み出し、雇用を創出する――そんな考えのもと、仕事百科事典から派生するかたちで立ち上がった『もの・こと・しごとプロジェクト』。この事業から新たな雇用が生まれています。
 採用の受け皿となったのは、仕事百科事典の掲載事業所である太田工務店株式会社。プロジェクトの第一弾企画として進んでいた酒器づくりに携われる人材を太田亨社長が求めていたところ、酒樽職人をしていた平瀬誠二さん(33歳)と出会い、同社に迎え入れることになったのです。
 宍粟市出身の平瀬さんはたつの市の酒樽メーカーで酒樽をつくっていましたが、その会社が廃業したのを機に大阪に出て3年ほど職を転々としていました。
 「でもやっぱり職人として働きたいという気持ちが高まっていたとき、知人を介して親方(太田社長)と知り合ったんです。『ヒノキの樽や酒器をつくれる職人を探している』という話を聞き、『やります!』と即答しました」
 そう振り返る平瀬さんの入社は2016年9月。太田社長と出会って僅か 2 週間後に多可町の地を踏んでいました。 「正直大阪の人混みは苦手でしたね。僕は田舎出身ですし、自然あふれる多可町に来て本当にええとこやなと思いました」

仕事百科事典を見て面接に

太田工務店ではもう一名、仕事百科事典のWebサイト経由で雇用が生まれています。2016年2月に入社した大工見習いの桑木光太郎さん(23歳)です。大阪市淀川区出身の桑木さんは大工を志し、高校卒業後に大阪工業技術専門学校に進学して大工技能学科を専攻。卒業後は大阪で1
年働いたのち、太田工務店に入社しました。
 「僕は大工道具を使った手作業の仕事に憧れていたんです。ですが大阪ではプレカットの仕事がほとんどで府外の会社を探していたところ、ハローワークで太田工務店を知りました」
 そう経緯を話す桑木さんはインターネットで太田工務店の情報を調べるなか、仕事百科事典にたどり着きました。「そして親方のインタビュー記事を読み、昔ながらの伝統工法を何より大切にされていると知り、『ここや』と思って面接を受けることにしたんです」
 太田社長は仕事百科事典で「経験豊富な職人よりも、大工になりたいという強い思いを持つ若手を受け入れたい」と語っていました。桑木さんはそんな太田社長の求める人材像にマッチし、採用が決まったのです。

「伝える」から「生み出す」へ

太田工務店でのふたりの仕事内容は異なります。平瀬さんは酒器づくりに携わったのち、現在は製材部門を任されています。「製材とは丸太を角材や板に加工する作業で、建築現場のニーズに応じた寸法に正確に、手早く仕上げる技量が問われます。まだまだ技術を覚えている半人前の状態ですが、この仕事は自分に合っていると思うんです」

そういきいきと話す平瀬さんの仕事ぶりについて、太田社長は「いまでは基本的な製材作業は任せています。平瀬も言うてるように、彼には製材の仕事が合ってるみたいです」と評価します。

桑木さんは大工見習いとして現場に出て、太田社長から手ほどきを受けている段階。「仕事内容は主に床下や壁裏の施工関係のほか、最近は少しずつノミやカンナを使った刻みの仕事もさせてもらえるようになりました」と桑木さん。「昨年は新築物件の手刻み加工やカンナがけの一部を任されました。手仕事が上手くできた時は嬉しいですね」と話す桑木さんに対して、太田社長は「仕事の出来はまだまだ。がんばらなあかん」と叱咤激励します。
 そんなおふたりに、今後の目標を語ってもらいました。平瀬さんは「製材を任せられているとはいえ、まだ親方から『これあかんがい』と注意されます。こいつに任せとったら大丈夫。現場で困ることはなんもない、そう頼りにされるまで製材の腕を上げるのが目標ですね」と力を込めます。
 対する桑木さんは「僕は仕事覚えも良くなく親方に叱られることも多いのですが、いずれ一人前の大工になり、新築の家を一棟建てたいですね」と目を輝かせます。
 多可町のしごとを物語のように「伝える」サイトとして誕生した仕事百科事典。いま新たな商品や雇用を「生み出す場」として育っています。仕事百科事典の「それからの物語」、今後もぜひご期待ください。