笹倉織布

製造業

技・サービス

しごと紹介

1. 奇跡の連携プレーで生まれる播州織とは?

「ものづくりの技術革新が続く今の時代、プリントするように簡単に織物ができ上がるのではと思われるかもしれません。とんでもないです。一枚の生地が織り上がるまでに、どれほど多くの人の手が関わっているのか――ひとりでも多くの方に知ってもらいたいのです」

播州織の産地・多可町の笹倉織布工場で働く笹倉佑介氏は、そう力を込める。

北播磨地域の地場産業として、200年を超える歴史を織り刻んできた播州織。加古川、杉原川、野間川の豊かな恵みが染色に適した軟水を生み、地域の人びとはその絶好の環境の中で自然と共生しながら播州織を守り育ててきた。

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そんな地域の財産である播州織は、【技・サービス紹介(※内部リンク)】で説明しているように各工程のプロフェッショナルの奇跡のような連携プレーで織り上がる珠玉の逸品だ。ところが産地では生地の生産が主体で、最終製品づくりはそれほど行われていないため、消費者が意識して手に取れる機会は少ない。

「播州織は本当にいいものだからこそ、私たち産地の人間が消費者の皆さんにその魅力を伝え、手に取ってもらうための努力をしなければなりません。若手グループの活動を通じてそう強く感じています」

笹倉氏が口にするグループとは、播州織の「織布工程」に携わる若手職人で結成されたグループ『Banshu-ori Next Japan』(以下BNJ)のこと。

BNJは有限会社善徳織物、有限会社小円織物、株式会社コンドウファクトリー、笹倉織布工場、川上織物株式会社、橋本裕司織布の6社で構成されており、「グループ全体での播州織のPR」「個人での播州織を使った最終製品の物販」の2本柱で活動している。

「私がBNJに参加したのは6年前で、当時すでに自社工場で織った生地で最終製品を製作・販売しているメンバーもいました。そんなメンバーたちの熱い思いに引っ張られ、播州織の新たな可能性を模索したい、産地全体を盛り上げたい、そう考えるようになったんです」

2. 読者とのつながりが最終製品づくりの励みに

産地でものづくり――この思いをより強くしたきっかけがあった。2014年に、今治タオルの産地をBNJで視察したことだ。

「かつて今治は廉価な海外製品に押されて産業が落ち込んでいました。ところが現在は産地の工場で最終製品まで一貫生産し、併設するショップではタオルの技術を応用したオリジナル製品(ストール)の自社販売まで行っている。播州織と同じような経緯を辿った今治の活況を見て、『自分たちにできることはまだまだある』と感じたのです」

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そう振り返る笹倉氏自身も最終製品づくりの試行錯誤を続けてきた。BNJに参加した6年ほど前にオリジナル生地を織り、1点もののストールを試作したことがある。

「そのストールが新聞に取り上げられて、読者の方にお譲りしたんです。すると大変喜んでもらえました。自分がつくった製品を消費者に直接お届けし、喜びの声が直に返ってくる。この経験が転機になり、最終製品づくりを本気で考えるようになりました」

3. 生地を知り尽くした織物産地でシャツづくりを

現在は、生地づくりという本業の傍らでスカーフの製作と販売に力を入れるほか、2016年には多可町が進めている『播州織シャツプロジェクト』に参加。これは播州織で観光ユニフォームを製作し、多可町の魅力を町内外に発信する取り組みで、笹倉氏はBNJのメンバーとして関わっている。

笹倉織布工場はシャツ生地を主に生産しているが、最終製品のシャツをデザインしているのは国内外のアパレルメーカーが中心だ。

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「でも私は思うんです。生地を知り尽くした織物産地で染めから織り、デザイン、縫製まで一貫生産したシャツはきっと世界に誇れる商品になると――。今回のプロジェクトでシャツづくりを学び、ゆくゆくは自社オリジナルのシャツを開発するのが目標です」

笹倉織布工場はシャツ生地の生産を主軸にしながらも、播州織や産地の将来を考えた新たなチャレンジを続けている。

技・サービス紹介

1. 地道な作業の先に美しい織物がある

笹倉氏が運転するトラックで笹倉織布工場に取材班が到着すると、建屋から「カシャン、カシャン」という織機の音が漏れ聞こえてくる。工場のドアを開けるとその音は一段と大きくなり、播州織の歴史と伝統の世界に足を踏み入れたようで身が引き締まる。

規則正しく上下する織機の綜絖(そうこう:たて糸を上下させる道具)を眺めていると、まるで踊りながら生地を織っているようなコミカルな動きに見えてくるから不思議だ。

このように織機で生産される織物は、たて糸が規則正しく上下して、その間をよこ糸が走って織り上げられていく。たて糸は糊付けされて切れにくくはなっているが、天然素材である綿は上下する際の摩擦で弱い部分が切れてしまうことがある。

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「その場合は織機を止めて人の手で糸を結び、綜絖の穴と、筬(おさ)と呼ばれるスリットに通し直さなければなりません。地味な作業ですが、ミスが許されない作業でもあります。こうした地道な作業が美しい織物につながっているのです」と笹倉氏は説明する。

そんな笹倉織布工場は「ドビー織り」の専用工場となる。ドビー織りとは、複数枚の綜絖を上下させるドビー織機で織られた織物を指す。

「ドビー織機は表面変化をつけた織りが可能で、用途やデザインに応じた付加価値の高い織り方ができます。このドビー織りの特徴を活かして、当工場ではカラフルなカジュアルものから紳士物のドレスシャツといったデザイン性の高い生地の生産を得意としています」

笹倉氏がそう説明するように、ドビー織りはアイデア次第でデザイン性の豊かな生地を織れるメリットがある一方で、手作業による準備工程が欠かせないという側面がある。

2. 産地全体で一枚の生地を織り上げる

ここで播州織の製造工程を紹介しておきたい。まず中心となる工程は、

① 糸を染める「染色工程」
② たて糸に糊付けする「サイジング工程」
③ 織物を織り上げる「織布工程」
④ 織り上がった生地を用途に応じて加工する「加工工程」
の4つに大別される。

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さらに各工程にはいくつかの準備工程があり、それら大工程・準備工程のすべてがここ播州地域で完結している。

今回、取材班は笹倉織布工場の計らいにより、数ある準備工程から「畔取り」と「へ通し」という2つの工程を見学させていただいた。

●柄通りに糸を並べ直す「畔(あぜ)取り工程」
播州織の製造工程では、まず仕入れた糸を染色(①染色工程)したのち、機織りの際にたて糸を切れにくくするために糊付け作業(②サイジング工程)を行う。

次いで笹倉織布工場が担う「③織布工程」に移る前に、あらかじめデザインされた柄通りにたて糸を並べ直す作業が必要となる。

「このたて糸を組み直す作業(=柄組)を『畔取り』と呼びます。今回訪ねる笹倉千恵子さんはこの道45年のベテラン職人で、もともとご夫婦で機屋(織布工場)を営まれていた経験を活かしたきめ細かな仕事が評判です」

笹倉氏から説明を受けて訪問すると、さっそく千恵子さんは実演を交えながら畔取りの説明をしてくれた。

「指図書の本数どおり、こうやって糸をすくい取りますやろ。その糸を三本の指を使って色順に並べていくんです。難しく見えるかもしれんねえ。でも45、6年もやっとったら手が勝手に動きますわ」

千恵子さんは手際よく指を動かしながら説明してくれるが、特殊な作業だけに簡単には覚えられそうにない。

繊細な手作業が求められるこの畔取りは、何千本もの糸をデザイン指示書に従って一本一本、手作業で並べていくという根気のいる仕事だ。仮に一本でも順番を間違えると柄に狂いが生じるため、一からやり直さなければならない。

「だから常に意識しているのは、次工程のへ通し屋さんに迷惑をかけたらあかんということ。今でも作業が終わったら、1時間でも2時間でもかけて糸の並びをぜんぶ見直します。数がちゃんと合っていたら、毎回ひとりで拍手しますよ」

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この道50年の職人にして、これほど慎重にチェックしなければならないほどミスが許されない仕事なのだ。いかに神経の使う作業であるかが理解できると同時に、千恵子さんの言葉から次工程への配慮が感じ取れる。

●ドビー織りに欠かせない「へ通し工程」
次いで見学したのは「へ通し」と呼ばれる準備工程。これは畔取りの次の工程で、何千本もの糸を一本一本、針のような小さな穴に通す繊細な手仕事だ。笹倉織布工場のようなドビー織りに不可欠な準備工程でもある。

訪問したのは藤本初恵(はつえ)さんの作業場。平成元年に機屋の看板を下ろしたのち、へ通しをご夫婦で行うようになり、現在はお嫁さんが手助けされている。

見学時の糸の本数は、なんと7400本。これだけの本数を一本ずつ綜絖(そうこう)に通したのち、さらに筬(おさ)と呼ばれるスリット状の道具に通していく。綜絖に通すことで機織りの際にたて糸が上下し、筬を使うことで糸の絡まりを抑えてくれるようになるという。

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「仮にへ通し作業で1本でもミスがあれば、機織りの際にデザインがずれてしまう。7400本のうち、たった1本が命取りになるから、間違いがわかれば最初からやり直しですわ」

この道30年のベテラン職人の藤本さんは事もなげに言うが、畔取りと同様、気の遠くなるような作業である。

そんな藤本さんのことを、笹倉氏はこう評価する。

「もともと織布工場を経営されていたから、うちのような機屋の気持ちを理解して作業をしてくださるんです。たとえばトラックで移動中に糸が絡まないようカバーをかけてくれたり、筬に通した糸の本数を自作の検査装置でチェックしてくれたり。作業のスピードが早いのも助かっています」

この笹倉氏の言葉を受けて、藤本さんはこう続ける。

「いま言われたみたいに機屋を長いことしていましたからね、現場で困るポイントが手に取るようにわかるんです。後工程に迷惑をかけんよう、そして少しでも織りやすいよう、ひと手間を惜しまんよう意識してるんですわ」

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このように各工程の職人が次工程のことを考え、心をつなぎながら産地全体で一枚の生地を織り上げているのだ。

3. 心を通わせながら、同じ思いでものづくり

今回、紹介したのは数ある準備工程の2つのみ。実際にはさらに多くの工程が密接に関わっている。

「その工程のどこかでミスや手抜きがあれば、付加価値の高い織物はでき上がりません。各工程のプロフェッショナルによる丁寧で間違いのない仕事の連携プレーの先に唯一無二の播州織があるんです」と笹倉さんは強調する。

さらに笹倉織布工場のようにドビー織り専用工場の場合、先ほど紹介した畔取りやへ通しといった準備工程が不可欠となる。

「だから私は職人さんとのコミュニケーションを何より大切にしています。職人さんたちと心を通わせながら、同じ思いでものづくりをする。このプロセスが、機織りの仕事でいちばん好きなところですね」

一方で畔取りやへ通しなどの準備工程は職人の高齢化が進み、後継者不足に直面している。

「播州織の良さを知ってもらい、準備工程を担う若い人がひとりでも出てきてほしい。播州織の歴史と伝統を継承していくためにも、産地全体で職人さんを守り育てなければなりません」

機屋の仕事は機織り作業が中心となるが、生産管理や納期管理を担う調整役の立場も兼ねている。笹倉氏は自社工場を切り盛りしつつ、職人への心配りも大切にしながら、今日も産地をトラックで駆け抜けていく。

経営者紹介

笹倉織布工場 笹倉佑介氏

1. 祖父が興して半世紀。父の代にドビー織り専用工場に

笹倉織布工場はミシンの営業をしていた祖父の重男が一念発起し、1967年に立ち上げました。今年(2017年)で創業50周年を迎えます。

最初は力織機を4台導入し、平織り(もっとも流通量の多い織り方)からスタートしました。その後、父の政芳が工場を継ぎ、20年ほど前に平の機にドビー装置を上げてドビー織り専用工場に転換しました。

私自身は大学卒業後に他社で1年ほど働いたのち、ものづくりに興味を抱いていたこともあって家業を手伝うようになりました。

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最初は正直に言って、播州織についてそこまで深い思い入れはなかったんです。ですが『Banshu-ori Next Japan』のメンバーと情報共有し、活動を共にしていく中で、播州織や産地の活性化に思いを抱くようになりました。

2. 自社ブランド「SASAKURA ORIFU」で播州織をPR

現在は、播州織の普及活動の一環で最終製品づくりに力を入れています。具体的には、笹倉織布工場の自社ブランド「SASAKURA ORIFU」を立ち上げ、主にストールづくりに取り組んでいます。

17年度からスカートの製作も始める予定で、前述したように今後はシャツづくりにもチャレンジしたいと思っています。さらに2016年にはネットショップを開設しました。製作だけでなく、販売面にも力を入れていきたいと思っています。

このように最終製品づくりに本腰を入れてはいきますが、本業であるシャツ生地の生産を主軸に事業展開する点に変わりはありません。今後も本業を第一に考えながら、同時に自分たちのものづくりを追究し、最終製品を消費者の方々に提案していきます。

なお、今年は50周年の節目ということもあって、2018年1月1日に世代交代を予定しています。

すでに父からは仕事をほぼ任せてもらっている状態ですが、今後もいいものをつくり、消費者の皆さんに使っていただき、喜んでいただく――そんな工場を目指していきます。

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ライター:高橋 武男