太田工務店株式会社

建設業

しごと紹介

1. 一般住宅から古民家再生事業まで

カンナを木材の上に置き、ゆっくりと手前に引き込んでいく。カンナからは透き通った一枚の木くずがスルスルと踊りながら吐き出されていく。

木くずの薄さはわずか数ミクロン(1ミクロンは1000分の1ミリ)。木の繊維が目視できるほど極限まで薄く削り取られている。

「こうやって繊細にカンナをかけると、木の肌(表面)が鏡みたいにピカピカになるんです。ほら、向こうの景色が木肌にうっすらと映ってるでしょ。こういう職人技がうちの売りですわ」

カンナがけを見せてくれた太田工務店の太田社長は静かに語る。

太田工務店は多可町に根を張って今年(2015年)で11年。神戸出身の太田社長が平成14年に25歳で創業、平成27年に太田工務店株式会社として法人成りを果たした。

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「法人に改組したのは従業員のためです。少しでも安心して働いてもらえる環境をつくりたいと思っているので」

工務店や大工は個人事業で商売するケースも多いなか、若くして創業後、着実に組織化への歩みを進めている。

太田工務店は一般住宅の建築・リフォームを中心に手がけるほか、お寺や神社、吾妻屋(あずまや)の建築・改修工事、さらに兵庫県篠山市の古民家再生事業も受託している。

2. 昔ながらの伝統工法で家を建てる

モットーは、昔ながらの伝統工法を用いた大工仕事を大切にしていること。

「現在の建築業界は工期短縮やコスト削減を目的に工場出荷材を使うプレカット工法が主流ですが、うちは職人による手作業の墨付けと手刻みにこだわっています」と太田社長は力を込める。

「墨付け」とは、墨を使って加工の目印をつけること。「手刻み」とは、ノミや金づちなどの道具を使い、木と木が組み合うよう接合部分を加工すること。いずれも手間のかかる仕事だが、一本一本の木を見極めながらの手作業だからこそ、歪みや曲がりといった木材の特性を活かした木組みが可能になる。

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「木と木の接点を仕口(しぐち)、継手(つぎて)と言ってたくさん種類があります。職人の手仕上げで仕口と継手をこしらえ、柱と柱をがっちりと組み合せることで、頑強な構造物ができ上がるんです。クギの数も減らせるので、長持ちする家ができますよ」

手仕上げを大事にする太田社長のもとで、伝統工法を学んでいるのが福井慶(やすし)さん。父親の後を継いで鉄筋コンクリートの型枠大工を続けていたが、木造建築に憧れて太田工務店の門をたたいた。

「木造大工の第一歩は、自分が使う道具の刃物を研げるようになること。入社当時は朝から晩までひたすら研ぎの練習をしていました。まだ発展途上ですけど、少しずつ大工仕事を任せてもらえるようになりました」

そう語る福井さんの表情は仕事が好きな男の顔だ。

3. 「がいようしてくれてありがとう」

「とりわけ思い出深い仕事は?」との取材班の問いに、「どの仕事も思い出があり過ぎて絞り切れへん」と太田社長。

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「とくに難しかった仕事は?」と質問を変えると、「江戸時代に建てられた篠山の古民家の改修工事かな……」と教えていただいた。

まず家全体を持ち上げて基礎工事をやり直したのち、次に2階部分の構造材の補修工事を実施。最後に屋根もはがして補修を施した。

「古民家の再生でとくに難しいのは、昔の木に合わせて改修すること。築年数100年や200年にもなると、柱は虫に食われたり腐食したりして相当傷んでいますから。新しい木を違和感なくつなぎ、強度を高める工事は手刻みの職人技がないとできません」

一般住宅の建築やリフォームの場合、施主と長い付き合いになる。

「何十年も過ごす家づくりを託されているわけですからね。長く大切に住んでもらえる家、愛着を持って住んでもらえる家をつくるのが目標です。完成して引き渡す際、『がいようしてくれてありがとう』と言ってもらえるのが最高の喜びですね」

4. 大工に憧れを持つ職人の受け皿に

いま大工を募集しているが、「経験は関係ない」と言う。

「むしろ経験のない新人さんを雇いたい。場数を踏んだ職人は即戦力を期待できるかもしれませんが、大工になりたい、大工に憧れている、そんな強い気持ちを持った若手を受け入れたいです」

太田社長がそう話す理由は、経営者紹介ページでも説明しているように、社長ご自身が大工になりたいと夢を抱いてこの世界に入ったひとりだからだ。

「大工に限らず何でもそうですが、興味のあることには夢中になれるし、何でも前向きにすぐ覚えられると思うんです。かつての僕がそうでしたから」

太田社長は修業時代、「親方や先輩職人の仕事を徹底的に見て覚えた」という。職人の世界は「背中で語る」印象が強いけれど、受け取る側の意識の高さが求められる。

「仕事を見て覚えると、〝あのとき親方はこうやっていた。では自分のやり方はどうか?〟と疑問が生まれます。その疑問が親方への質問になり、自らの学びとなって返ってくる。見て覚えていなければ、自分のやり方しかわからへんから、その分、成長も遅れますよね」

太田社長は独立した現在も修業時代の親方の仕事を思い出し、自分の考えをミックスしながらさらに高みを目指しているという。

「もちろん質問すれば、親方(太田社長)や先輩職人は教えてくれるから大丈夫ですよ。でも感覚的なコツは自分でつかむしかないですけどね」

従業員の立場でそう説明する福井さんは、太田社長の〝太っ腹〟な仕事の任せ方に感謝する。

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「まだ入社間もない頃、『間違えてもええから』と大きな仕事を任されました。どないしたらええねんとパニックになりかけたけど、指導を受けながら見よう見まねでやっているうち、何とかやり遂げたんです。大きな自信になりましたね」

時に背中を見せて語り、時に大胆に仕事を任せて成功体験を積ませる。太田流人材育成で、伝統工法の技術を持つ職人がひとり、またひとりと育っていくことだろう。

経営者紹介

太田工務店株式会社 代表取締役 太田亨氏

1. 高校卒業後、実家を出て憧れの大工に

子どもの頃から将来は大工になるのが夢やったんです。サラリーマンの父親から「手に職をつけろ」「大工になったらどうや」と言われて育った影響も大きいと思います。

神戸市灘区の実家を出たのは高校を卒業した16歳のとき。兵庫県丹波市山南町の親戚の家の隣がたまたま工務店(株式会社協和)でね。親戚のツテを頼りに、その工務店さんに弟子入りさせてもらいました。

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親戚の家に住まわせてもらいながら8年間の修業を経て、平成14年、25歳のときに多可町の現所在地で太田工務店を創業しました。

独立後はお蔭様でコンスタントに仕事をいただけていたんですが、当初はそれだけで生活するのは厳しいときもあり、知り合いの水道工事や土建の仕事を手伝ったりしていましたね。

そうやって目の前の仕事をやっていくうち、少しずつ、いろんなところから声をかけてもらえるようになりました。

2. 地元の木材を使い、多可町ブランドの家を

多可町に根を張って11年。地域に恩返しをしたいという思いで、いま林業家の方と相談しながら進めている構想があります。

それは地元の木材を使い、多可町ブランドの家をつくること。

きっかけは、篠山市の古民家再生事業でお世話になっている方からの次のひと言でした。

「多可町の木を使って家を建てられへんやろか」

詳しく伺うと、「間伐材を市場に出してもいい値が付かず、チップ材として安く買い叩かれている。多可町の山の7割以上は檜(ひのき)なので建築資材としての活用の可能性があるのでは」ということでした。

じつは私も同じことを考えていたんです。でもいろんな人の協力がいることなので踏ん切りがつかずにいたところ、そういう話が来たもんやから「よっしゃ、やろう」――と。

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何かの巡り会わせやと思うんですけど、いま話を進めている林業家の方というのは、仕事百科事典で取材を受けられた森安木材店の森安社長です。長いこと多可町の山を管理されてきた森安社長の思いを聞きながら、お互いアイデアを出し合って少しずつ計画を前に進められたらと思っています。

(余談:取材中、当の森安社長から偶然、太田社長に電話が入った。取材後に森安木材店に訪問し、この計画の相談をすることになったという)

3. 地域活性化とは、人が元気になってこそ

私が考えている構想の全体像はこうです。

多可町の林業家から間伐材を受け入れ、切り倒した木を水に浸けて保管する水中乾燥を実施する。引き上げた木材を天然乾燥後、その木材を使い、伝統工法の技術で「多可町ブランド」の家を建てる。そのほか、多可町産材を使った雑貨なども製造・販売する――。

まだ夢のような構想で、課題もたくさんありますよ。

でも多可町産材を使えるようになると山に値打ちが出て、山の管理がさらに行き届くようになるはずです。

日本人にとって、山がいちばん大事やと思うんです。私たちの生活と山は切っても切れない関係ですから。

山が元気になると関連する産業が活気づいて人が元気になり、多可町の魅力を外に発信する人が増えてくる。多可町の魅力が外に伝わり、今度は外から人を引き込んで地域がさらに活性化していきます。

本当の地域の活性化とは内の元気、人の元気あってこそ。多可町ブランドの家づくりが山を守り、地域おこしのきっかけになる、そんな循環を生み出せたらと願っています。

4. 多可町のチャレンジは日本のチャレンジ

多可町の木を使うメリットのひとつは、地域の気候風土に合った家を建てられること。木も生き物ですから、育った地域で使われるのがいちばん適しているんです。

もうひとつは、住む人の「思い」ですね。多可町の木を使った家に住んでいるんだというこだわりや自負が、住む人の心を満たしてくれるはずです。

あと、木の良さを活かした住まいを建てようと思ったら、墨付けと手刻みによる伝統工法じゃないとできません。多可町ブランドの家づくりは、伝統工法の職人の育成と雇用の創出につなげる目的もあるんです。

この構想は、仮に実現できても数十年規模の歳月が必要だと思います。

でも「地元の木を活かしたい」というのは、国土面積の3分の2が森林で覆われた日本中の地域の本音やと思うんです。

多可町の課題は日本の課題。多可町のチャレンジは日本のチャレンジ――。

日本の各地域の牽引役になるような活動にしていきたいと思っています。

従業員紹介

福井慶(やすし)さん 38歳
父親が鉄筋コンクリートの型枠大工だった関係で、私も18歳で建築の世界に入りました。ずっと父親について型枠大工をやっていたんですが、実は木造大工に憧れを持っていたんです。

転機は32歳でした。父親が引退したのを機に、周囲の反対を押し切って木造大工の世界に飛び込んだんです。

30歳を超えて新しい世界に入るのは勇気がいりましたが、いまやらんと後悔すると思い、悩んだ末に決断しました。

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同じ「大工」でも、鉄筋の型枠と木造では何から何まで違います。だから念願の木造大工にはなったものの、最初は大工としては使い物になれへんかったんです。任される仕事は雑用ばかりで……自分で選んだ道やと思いながらも、正直、辛かったです。

いくつかの工務店を転々としながら、最終的に太田工務店にお世話になることになりました。ハローワークで就職先を探しているとき、「手作業をメインにしている」という文言に惹かれ、太田工務店ならほんまにやりたかった木造大工の仕事ができると思ったからです。

親方に受け入れてもらってからは、自分が思い描いていたような仕事をさせてもらっています。

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木造大工のいちばんの魅力は、自分がつくったものがそのままのかたちで残ることですね。自分で木を削って、自分で組んで、自分でつくり上げる。建物が完成した際の達成感は格別ですよ。大工を目指す人には、この喜びをぜひ味わってもらいたいですね。

カンナで木のツラをピカピカに磨き込み、お客さんから「きれいにしてくれてありがとう」と言ってもらえると、涙が出るほどうれしいです。

まだまだ職人としてはこれからですけど、大小合わせて20弱の物件に携わらせてもらいました。

太田社長の仕事のやり方についていって、昔ながらの伝統の技を身につけ、若い子たちに教えられるようになるのが夢ですね。

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ライター:高橋 武男

求人情報

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企業情報

会社名称 太田工務店株式会社
本社所在地 〒679-1101 兵庫県多可郡多可町中区門前337-1
HP https://otakoumuten.com
従業員数 3人
事業内容 建築、大工